理容室という正式名称がありながら、【床屋】と言われることの方が、絶対的に
多かった時代もあり。中には、床屋という名称を差別用語だと捉え、そう呼ばれることを
嫌がった方達もいらっしゃたそうです。そんな、理容師という仕事について18年目を迎えました。なりたての頃、はるか先の先輩に思えた諸先輩方の当時の年数を軽く越し・・・でも振り返るとあっという間に時間が過ぎて行きました。
時代の移り変わりと共に・・・
修行し始めていた時代は、まだまだ師弟関係、徒弟関係が強く。超超超超体育会系な業界でした・・・社長の言う事はもう当たり前のように絶対。先輩の言うことは素直に聞くのが当たり前。そういう時代でした。髪が長いからだめだ!!態度が生意気だ!!【はい】か【すいません】か【ありがとうございます】かしか、認められませんでした(笑)そいう時代だったんです。
その分、先輩は絶対的に先輩でした。ご飯食べに行けば、自分で払ったことはほぼなかったですし(もちろんきっぱり割り勘の先輩もいらっしゃいました)、飲みに行けば好きなだけ飲ませてくれたり。帰りのタクシー代すらくれる先輩もいました。芸能人じゃないですが、【こんな世界本当にあんだな】という感想を持っていました。
先輩という存在は、とにかく理不尽(笑)!!これだけは譲れません!!とっても理不尽でした。でも理不尽で厳しくとも、それすらこの人に言われんならって納得してしまう技術力・面倒見の良さがありました。いつか抜かしてやる!!という存在でもあり、歩く教科書みたいな存在であり・・・
耐え抜いた時代・・・
そんな、時代を耐え抜いた今の18年目突入世代は、ちょうど過渡期にあったと思います。
一つ下の世代から、先輩・上司至上主義が段々と薄れていったのです。というか、後輩が受け入れなくなっていったんです。また一つ、また一つと・・・年が変わり新人が入って来れば、優しく!!とか分かりやすく!!とか聞きなれない言葉が上司から聞かれるようになりました。
ここで、できのいい先輩と出来の悪い先輩に別れることになります。もちろん・・自分の後輩にあんなきついこと耐え抜いて欲しいとは思わない訳で・・・そこで、本当にただ優しいだけの人になった人と優しいけど厳しい人になった人がいました。
これは今でも、どの業界でも変わってないんではないでしょうか??
優しい=成果が出ない
厳しい=嫌だ
この式は成り立ってはいけないはずです。
目指したのは、
厳しくて・優しくて・しつこくて・わかりやすくて・成果が上がること
ここです!!
じゃあどおやってそれを作っていくのかを試行錯誤していこうと思います!!
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