技術を真似させるのではなく、思考を真似させる。自分を超える後輩の育て方

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今日は六本木店に出勤し、
宇野ちゃんのシェービング練習を指導した。

今はガード付きのシェービング刃を使って練習しているが、
私自身はその方法で技術を学んでこなかったので、
正直なところ少し怖さを感じる。

ただ、そこで一つ疑問が生まれた。

そもそも技術を完璧に真似させることに、
どれほど意味があるのだろうか。
技術は真似できても、同じにはならない

人間は一人ひとり違う。

手の大きさも、筋肉のつき方も、関節の動き方も違う。
だから、師匠とまったく同じ動きを再現することなんて、
そもそも不可能なんじゃないかと思う。

似た動きはできる。でも、完全に同じにはならない。

では、何を真似させるべきなのか。

私は、技術そのものよりも、
その技術に至るまでの「思考」なのだと思う。
例えば「お客様の顔を宝物のように扱う」という考え方。
これを本当に理解していれば、顔に触れる手つきや刃の当て方、
タオルの扱い方にも自然と表れるはずだ。

「お客様に褒められるような仕事をしよう」という考え方も同じ。

ただ褒めてもらいたいという話ではない。
自分の仕事に責任を持ち、
相手に喜んでもらえるところまで追求するということだ。

つまり、動作を真似させることの本当の目的は、
その動作を生み出した思考を理解させることなのかもしれない。

もちろん、本人が丁寧にやっているつもりでも、
知識や技術が不足していれば危険なことはある。
だから安全性や基本技術はきちんと教えなければならない。

そのうえで、やり方が多少違うことまで否定する必要はない。

大切にしている考え方が同じなら、そこまでめちゃくちゃな仕事にはならないはずだ。

自分を超える人間を育てる

そもそも、すべてを私と同じようにやらせていたら、
いつまでたっても私を超えられない。
最初は型を覚える。その意味を理解する。
そして、自分なりに工夫して、より良い方法を見つけていく。

それが成長なんだと思う。

AIと話していて、さらに一つ考えさせられた。

自分を超えるということは、いずれ私の技術だけでなく、
私の考え方そのものを疑うことにもなるのではないか。

確かにその通りだ。

自分の考え方を理解してもらいたい。
でも、いつまでもその考え方に縛られてほしいわけではない。
私が正しいと思っていることが、10年後も正しいとは限らない。
後輩が私とは違う考え方で、私以上の仕事をするようになったら、
それこそ教育の成功なんだろう。

変えていいものと、変えたくないもの

一方で、会社として大切にしてきたものまで簡単に変える必要はないと思っている。
挨拶や返事、礼節、人への敬意。
他社には、そういったことをそこまで厳しく求めないサロンもあるかもしれない。
でも、だからといってうちまで同じようになる必要はない。

うちの会社の良さは、技術や接客を追求するだけでなく、
その前段階にある「人としてどうなのか」を大切にしているところだと思う。

ただし、挨拶の声の大きさや返事の形ばかりを求めても仕方がない。
相手を歓迎する。相手に敬意を持つ。その思考が行動に表れることが大事なんだ。
守りたいのは形そのものではなく、その奥にある価値観なのだと思う。

慌てないこと、ありがとうと言うこと

そんなことを考えながら、日々の仕事でも大切にしたいことが二つある。

一つは、イレギュラーが起きても慌てないこと。

そもそもイレギュラーなんて必ず起きる。
予定通りにいかないことを毎回問題にしていたら、仕事にならない。
慌てても何も解決しない。まず落ち着いて、状況を確認し、
できることから対応する。

もう一つは、「ありがとう」をとりあえず言っておくこと。

感謝する理由を難しく考える必要なんてない。
誰かが何かをしてくれたら、まずありがとうと言う。
当たり前のことだけど、忙しかったり余裕がなかったりすると、
こういうことほど抜けてしまう。

考えてみれば、これも技術教育と同じ話だ。

落ち着いて行動することも、感謝を言葉にすることも、結局は普段からどんな考え方で人や仕事に向き合っているかの表れなんだと思う。

技術は時代とともに進化していけばいい。
私のやり方なんて、どんどん超えていってほしい。
ただ、人を大切にするという土台だけは、これからも大事にしていきたい。
そして、その土台のつくり方すら、いつか後輩たちがもっと良いものにしてくれたら、
それはそれで嬉しい。

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