それは指導か、自己満足か

最近よく思うことがある。

それは「物事には表裏がある」ということ。

たとえば、仕事が早い人は雑に見えることがあるし、
ゆっくりな人は丁寧に見える。どっちも一長一短で、
どちらが正しいとは言い切れない。

「特別扱い」もそうだ。言葉の響きは良いし、大切にされている感じもする。

でも、裏を返せば、特別扱いしないと成立しない関係性だということ。

つまり、“普通には扱えない”という、別の意味が潜んでいる。

世の中って、自分の都合のいいように解釈しがちだ。

だから、思い込みも生まれやすい。

たとえば、「評価が高い=特別な存在」と思い込む人もいれば、

「謙虚=控えめであること」と捉えてしまう人もいる。

他にも、「言うことを聞かせる=育てている」と思っていたり、

「言うことを聞かない=自分らしく生きている」と思っていたり。

色んなリーダーがいる。

「言うことを聞かせる系のボス」
「共に歩もうとするリーダー」
「勝手に人が着いてくるカリスマ」

どれもそれなりに存在意義があって、正解・不正解ではない。

でも、どれを選んでも「成果を出す」ことは求められる。

結局のところ、成果が出せるならどの道でもいい。

じゃあ、どうやって成果を出すのか。

僕自身、昔は「正しいことを教えて、それを守らせることが指導」だと思ってた。

強く言えば伝わると信じていたし、それが愛だとすら思っていた。

でも最近は、「理想ってこうだよ」ってことを何度も何度も繰り返し伝えて、

相手にゆっくり染み込ませるように意識している。

その人の性格や状況を見て、
ガツンと言っていいか、
やんわりと伝えるべきか、
あるいは何も言わない方が良いか

を考えるようになった。

結局、それって“相手に合わせている”ようでいて、

自分が成果を出すために選んでいる方法でもある。

つまり指導であると同時に、少しは自己満でもあるかもしれない。

でも、どちらでもいい。成果が出せるなら。

この問い、

「それは指導?それとも自己満?」

は、ずっと自分に投げかけながら歩んでいくものなのかもしれない。

コメント

タイトルとURLをコピーしました