■ 問題提起:「うちの娘、8歳。自分のことを“僕”って言うのがどうしても気になる。」
最近、ふとしたときに気になったのが、うちの娘(8歳)の一人称。
自分のことを「僕」って言うんです。
正直に言うと――違和感がある。
どこかで「女の子が“僕”って使うのはちょっと変だ」と感じてしまうし、
今まで自分が関わってきた“わざわざ一人称を変えてる人”って、
なんというか…まともじゃないケースが多かった。
もちろん、もし娘が将来的にセクシャルマイノリティーだったら、
それは尊重したい。
でも現時点では「わざわざ“変わってる自分”を演じなくてもいいじゃないか」
という思いが拭えない。
自分らしさって、本来は自然ににじみ出てくるものだと思うからだ。
無理にキャラを作らなくても、魅力は勝手に表れてくる――そう思っている。
では、これは単なる“親のエゴ”なんだろうか?
それとも、何か見落としてはいけないサインなんだろうか?
■ 事例①:子どもが「僕」を使う理由
今、女の子が「僕」を使う理由って、実はいろいろある。
- アニメや漫画の影響(ボーイッシュなキャラへの憧れ)
- 「私」や「うち」と言うのが照れくさい・恥ずかしい
- 少しでも大人っぽく、かっこよく見せたいという気持ち
- 周囲の真似、ちょっとしたマイブーム
つまり、「僕=何か深い意味がある」とは限らないし、
本人に聞いてみたら「なんとなく」と返ってくることも多い。
子どもはまだ自分の“型”を探している途中。いろんな“言葉の服”を着てみて、
「これは自分に合う?」「なんか違うな」と試行錯誤している段階だ。
だからこそ、「今この瞬間の一人称」だけで将来を決めつけるのは、
少し早すぎるのかもしれない。
■ 事例②:大人だって“演じている”
ふと考えてみた。
大人は「素の自分」で生きているのか?
多くの人は違う。
“自分らしさ”を大切にしているようでいて、実は場面によってキャラを演じ分けている。
・上司の前では頼れる存在を装う
・SNSではポジティブな自分を投稿する
・家では無防備な素を見せる
こうした“演じること”は、必ずしも悪いことじゃない。
むしろ、それを“自覚して使っている人”は、バランスよく人生を楽しんでいる。
一方で、「自分はこれが“素”だ」と思い込んで、
実はずっと“演じる自分”をやめられない人もいる。
そういう人は、だんだんと疲弊していき、
心のどこかで“本当の自分ってなんだろう?”と迷子になってしまう。
だからこそ、「演じること=悪」ではなく、
“意識的に演じること”と“無自覚に演じ続けること”の違いが大切だ。
■ 解決のヒント:「娘が“僕”を使うのが気になるとき、どう向き合えばいい?」
親として違和感を持つのは自然なこと。
むしろ、「娘にはちゃんとした感覚を持ってほしい」と願っているからこその反応だ。
ただし、「直させる」ではなく、「話してみる」ことから始めてみたい。
たとえば、こんなふうに聞いてみるのはどうだろう。
- 「“僕”って言い始めたきっかけ、何かある?」
- 「“私”って言うのはどう? こっちのほうが素敵だと思うな」
- 「お父さんはちょっとだけ違和感あるけど、君がどうしてそう言うのか知りたい」
問い詰めるんじゃなく、“あなたの考えを大切にしたい”という姿勢で話すことがポイント。
そのうえで、
「お父さんは君には自然体の魅力があると思うから、
無理にキャラを作らなくてもいいと思うよ」
と伝えてあげたら、彼女の中に残るものはきっとある。
■ 終わりに:大人も子どもも“変化の途中”
大人になると、つい変化を避けがちになる。
でも本当は、大人だって“理想の自分”を追い続けていいし、
その過程で“演じる”ことも、自分らしくなるための一部だったりする。
だから、娘が一人称にこだわってるのも、ひょっとしたらその小さな一歩なのかもしれない。
僕自身は、今も理想の自分を目指していて、
「起こることすべてが必然で、必要で、ベスト」だと信じている。
だからこそ――娘にも、自分の人生を自由に模索できる力を育んでほしいと願う。
違和感も、心配も、戸惑いもある。
でもそれもまた、親としての愛情のかたちなんだろう。
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